FEATURES

誰が呼んだか「モンスターモデル」 ピュアドライブの奇跡と軌跡!(前編)

世界が注目した2代目
全仏・モヤ・ダブルライン

1875年、フランスのリヨンに、テニス用ナチュラルガットの専門メーカーとして誕生したバボラ社は、数多くの世界的トッププレーヤーたちに愛用され、1980年代にはシンセティックストリング分野にも進出して、世界的プレミアムブランドに成長しました。
その急進的な成長は、1990年代、テニスラケット製造にまで進化することになります。
通常、テニスラケット市場への新規参入というのは、ユーザーから認められるまで、非常に時間のかかるものですが、それを信じられないほどの短期間で世界的に認知させたのが【バボラ】だったのです。

バボラのラケット市場参入は1994年のことですが、日本では事情通しか知らないニュースでした。 アメリカのテニス雑誌などに取り上げられるのを見るだけで、日本には数本のサンプルが届いただけです。 代表的な2モデルを初めて見た当時、正直言って「これといってとくに変わったところのない無難なラケット。どちらも黒ベースで、アクセントとして赤や青があしらわれている」というのが、その印象でした。

その後、とくに気にせずに数年が過ぎ、1998年の全仏で大事件に遭遇します。 カルロス・モヤという選手が、日本では販売されていないラケットを使って優勝したのです。 それが2代目の【バボラ ピュアドライブ】でした。

それまでストリングのステンシルマークにバボラの証として使われていた「ダブルライン」が、ラケットのフェイス下部にくっきりと白に染め抜かれています。

これによって、世界のテニスラケット史上が激しく揺り動かされます。
世界各国のディストリビューターが、バボララケットの輸入を打診してきたのです。
そして1999年後半、ついに日本上陸を果たすのですが、それはちょうど【ピュアドライブ】が3代目に切り替わるタイミング。 なんとバボラは、参入してからわずか5年で、信じられない加速力をもってラケット開発力を進化させ、瞬く間に、伝説のモデルを生み出してしまったのでした。
従来のラケットでは絶対に果たし得なかった性能を引っ提げて日本市場に飛び込み、あっという間に多くのテニスコートを「バボラだらけ!」にしてしまったのです。

日本上陸、3代目・4代目
尋常ではなかったピュアドライブ旋風のスゴさ

日本市場参入の時点では【コントロール】【ドライブ】【パワー】という3シリーズでの展開。
コスメティックはそれぞれブラックベースで、アクセントカラーが【コントロール】=赤、【ドライブ】=青、【ソフト】=金・銀で、3シリーズ・8アイテムで投入されたバボララケットは、見かけからは想像できない画期的なシステムを搭載していて、それが特別な打球性能を生んで、ある奇跡を起こしたのです。

それが『ウーファー』というグロメットシステムです。
ラケットフレームとストリングとの連動を実現した「世界初」のシステムは、ストリングが通るルートであるグロメット部を膨らますように丸く処理したことで、「ピストン機能」「滑車機能」という2つの機能を磨き出し、結果として4つのメリットをもたらしたのです。
「パワーアップ」「スウィートエリア拡大」「コントロール性能向上」「衝撃緩和性能向上」をもたらした『ウーファー』は、その後も進化しつつ、バボララケットを支える基本テクノロジーとなっています。

かつて【ピュアドライブ】は「どこにでもある中厚スペックで、プロは使えない」と揶揄されましたが、カルロス・モヤは98全仏を制し、03年にはアンディ・ロディックが全米優勝でATP1位に輝き、キム・クリスターズもツアー9勝を挙げてランキング2位の成績を残したわけですから、そんな噂など消し飛んでしまいました。 もちろん日本でも数多くのプロ選手が【ピュアドライブ】を愛用しています。

また【ピュアドライブ】は「奇跡のラケット」と呼ばれるようになります。 奇跡のラケットとなったのは、【ピュアドライブ】がプロにとって強力な武器となるのと同時に、テニス経験の浅い、一般女性プレーヤーでも十分に使えたからでした。
そしてそれを可能にしたのが『ウーファー』です。 その秘密のシステムはこうです。
一般プレーヤーのインパクトスピードでは、ウーファーは反発力を向上させるパワーブースターとなり、逆にプロの強力なインパクトでは、オーバーパワーを制御するアブソーバーとなったわけです。
一つの装置が相反する機能を同時に実現するなど、それまでのラケットではあり得ないことで、それを実現してしまった【ピュアドライブ】は、まさに奇跡だったのです。

2002年に発表された4代目【ピュアドライブ】の時代になると、その特殊な性能が「テニスコートを見渡すと『青いラケットだらけ』だ」という、かつて見たこともない光景を生み出しました。
誰でも使えて、誰もが満足感を感じるラケットという、世界初の機能のおかげで爆発的大ヒットモデルとなり、この頃から【ピュアドライブ】は『モンスターモデル』と呼ばれるようになったのです。

※ピュアドライブ 1994年モデル
ストリングメーカーとして世界トップのバボラ社が、ラケット製造販売に踏み切る。初代ピュアドライブは、フレーム断面形状が楕円形のイリプティック形状で高剛性中厚、黄金スペックの原点となる

※ピュアドライブ 1997年モデル
バボラのラケットが初めて世界的注目を浴びたのが、'98年全仏でC・モヤがピュアドライブを使って優勝を果たしたときのこと。初代とほとんど見かけは違わないが、フレームの白ラインが太くなっている

完全に定着した「青」のイメージ
モデルチェンジを経ながら「乗り継ぐ」ラケット

今日、人気モデルというのはいくつか挙げられますが、【ピュアドライブ】ほど、登場当初のイメージを一貫して守り抜いているモデルはないでしょう。 登場以前、テニスラケット業界には「青いラケットはヒットしない」「青は入門用ラケットのイメージ」と言われていましたが、【ピュアドライブ】は、そのどちらも覆してしまいました。

もはやテニス界で「青いラケット」といえば、【ピュアドライブ】のことを指すほど、そのイメージは定着し、形状的・スペック的にもほとんど大きな変化はありません。
もちろん、時代に応じて新しいシステムや素材を導入したり、それに対応した多少のスペック変更はありますが、モデルチェンジのときに「別の姿」になることはなかったわけで、そんなラケットは、今では【ピュアドライブ】だけしかないのです。

この「主義の一貫性」は、広くテニスブランドを見渡しても、バボラにしかありません。バボラの全モデルのフレームに『ダブルライン・コスメティック』を染め抜き、モデルチェンジしても、性能的に極端な変更を与えずに進化させるという考え方のおかげで、ピュアドライブ・ユーザーは安心して乗り換え……いや「乗り継ぐ」ことができるのです。 【ピュアドライブ】は日本上陸して以来、5回のモデルチェンジを経てきましたが、そのときにマイナス要素を訴えるユーザーはほとんどいませんでした。

これが【ピュアドライブ】における『バボライズム』と言えるでしょう。

※ピュアドライブ 1999年モデル
並行輸入で日本にも流入していたバボラが正式に日本上陸を果たす。このときのモデルがウーファーを搭載していて、飛躍的に評価を高め、日本でも絶大な売り上げを記録して大注目を浴びた

※ピュアドライブ 2002年モデル
前モデルよりも「青」のイメージを強くしたのが4代目は、現在の新ロゴに変更されて登場。トッププロから女性中級者まで使える「奇跡のラケット」として、大きすぎる性能的変化は求められていなかった

Text by 松尾高司(KAI project)

まつお・たかし◎1960年生まれ。『テニスジャーナル』で26年間、主にテニス道具の記事を担当。試打したラケット2000本以上、試し履きしたシューズ数百足。おそらく世界で唯一のテニス道具専門のライター&プランナー