今年は特別! 全仏限定コスメにナダル全仏10勝記念【ピュアアエロ デシマ】登場。ところで「デシマ」って何?

全仏オープンは、最初からオープンではなかった
フランス選手権からの歴史と、クレー王国スペインの台頭

フレンチオープン

1981年にフランス人しか出場できない「フランス選手権」として始まった、現在の全仏オープン(ただし第1回優勝者はイギリス人のH・ブリッグス)。1925年になってようやく国際大会となって、外国人選手が出場できるようになり、1968年、それまではアマチュアしか参加できなかったフランス選手権にプロも参加できることとなり、四大大会で初のオープン大会となりました。

マックス・デキュジスという選手が1903年〜1914年にかけて8勝を挙げて、偉大な記録とされていましたが、つまりはフランス国内大会での話で、オープン化以降はフランス四銃士と呼ばれた名プレーヤーの一人であるアンリ・コシェの4勝、さらにご記憶の方もあるかもしれませんが、あのビヨン・ボルグの6勝(そのうち1978年〜1981年は4連勝)がでした。

1960年代までのテニス強国とされていたのは、アメリカ、フランス、オーストラリア、イギリスの4国であり、なんと1900年〜1973年まで(1915〜1918は不開催)のデビスカップでは、これ以外の国は一度も優勝していないのです。みなさん、ご存じでしたか?

そこに新勢力として喰い込み始めたのがボルグやマッツ・ヴィランデルのスウェーデン。ヤン・コデスとイワン・レンドルのチェコスロバキア、そしてスペインです。スペイン人初の全仏優勝者は、マニュエル・サンタナ(2度優勝)、アンドレス・ヒメノ、そして1993年・1994年の2連勝を飾ったセルジ・ブルゲラ。しかも1994年の決勝対戦相手は、同じスペイン人のアルベルト・ベラサテギ。

さらにその4年後、またもスペイン勢同士の決勝は、あのバボラ【ピュアドライブ】を武器に登場したカルロス・モヤと、後に【ピュアドライブ】を使うアレックス・コレチャの対戦。そしてまた4年後の2002年の決勝も、アルベルト・コスタ vs カルロス・ファン・フェレーロと、最終日のセンターコート「フィリップ・シャトリエ」でのスペイン人同士の決勝が繰り返されます。惜しくも敗れたフェレーロですが、翌年には優勝を果たし、クレーで絶大な強さを誇るスペイン勢力が注目され……、
ついにスペインでは英雄として尊敬されるラフェエル・ナダルが、2005年のレッドクレーに彗星のごとく現われます。彼は19歳の誕生日の翌々日に、最初のグランドスラムタイトルを手にすることになるのです。

全仏の歴史を塗り替えた偉大な復活勝利。
「79勝2敗」……ナダルはたった2度しか負けていなかった

フレンチオープン

そこからの4年間、ナダルは一度も全仏で負けることはなく、王者フェデラーを、決勝でことごとく蹴散らし、彼の全仏優勝の夢を断ち切ってきたのです。2009年は、両膝の故障を押して全仏出場しますが、ロビン・セーデリンに惜敗し、全仏無敗記録が「31」で、いったん途切れます。

そう、「いったん」なのです。2010年、ナダルは完全に蘇り、1回戦から決勝までの全試合をストレート勝ち。しかも決勝では、前年に苦杯を嘗めさせられたセーデリンを一蹴。ふたたび全仏全勝街道をまっしぐらで、なんと今度は2014年まで負けなしの5連覇。連覇記録はボルグと並びますが、トータル優勝回数では、ボルグの6回に対してナダルの9回と、はるかに凌いでいます。忘れないでください、それ以前に4連覇もしているのです。

しかし2015年、クレーの王者ナダルの栄光に翳りが……。
この年はなぜかクレーでも調子が上がらず、全仏に登場したときは第6シード。それでも準々決勝まで勝ち上がったものの、巨大な壁となって立ちはだかったのが、絶頂期のジョコビッチ。ナダルはついに全仏2度めの敗戦を喫し、翌2016年も、好調とはいえない状況で参戦した全仏3回戦で、手首が悲鳴を上げてリタイアしました。彼にとって、出口が見えない長いトンネルの始まりでした。

「ナダルもこれで終わりか……」などと囁かれる2017年、彼はモンテカルロ、バルセロナ、マドリッドと3連勝の好調を取り戻し、ローマでは準優勝に終わったものの、全仏奪還に燃えてパリ入りし、伝説の幕が開かれるのです。

ピュア アエロ デシマ フレンチオープン……圧巻です。7試合のうち、ナダルが落としたゲームは、わずか35。1試合平均、たったの5ゲームしか失いませんでした。もちろん5セットマッチでですよ!
最終日、ナダルはセンターコートでのフィナーレに、ふたたび笑顔で真ん中に立っていました。ここに『ラファエル・ナダル、全仏10勝』が完成します。スペイン語で10度めを表わす言葉は「ラ・デシマ」。それが今年の全仏特別コスメティックモデル、バボラ【ピュアアエロ デシマ フレンチオープン】に組み込まれたのです。

「デシ」で誰もが思い出すのは、小学校で習った「デシリットル」という体積単位ではありませんか? その後、ほぼまったく使うことのない単位でしたが、1リットル=10デシリットルでしたよね。
この単位はラテン語を語源とするもので、「デシ=10分の1」と定義されます。おそらく、スペイン語の「ラ・デシマ」も、同じ語源からきているのでしょう。

かつての王者、ピート・サンプラスにとって、全仏優勝は悲願でしたが、ついに一度も優勝できなかった。フェデラーは、たったの一度だけ。みなさんは知っていましたか?
フェデラーは、全仏でナダルに勝ったことは一度もないのです。その軌跡が、今年の特別な全仏限定モデルに刻み込まれています。なぜなら、彼のすべての勝利は、このラケットと共にあったからです。

H・ブリッグス

1925年までは「Club Stade Francais」(フランススタジアムクラブ)に在籍するメンバーだけが出場資格を持っていた。ブリッグスは英国人ではあるが、パリ在住であり、クラブのメンバーだったために出場できたものと思われる

フランス四銃士

アンリ・コシェ、ジャン・ボロトラ、ルネ・ラコステ、ジャック・ブルニョンという、同時代に活躍したフランスの偉大な4人のプレーヤーたちを、物語『四銃士』の英雄になぞらえて、こう呼んだ

【ピュアドライブ】 

バボララケットを代表するラケットの名品。初級者からトッププロまで幅広く使えることが、従来のラケットとまったく違うと評価されて大ヒット。あまりの爆発的ヒットによって、他のすべてのラケットメーカーに影響を及ぼし、「黄金スペック」の元祖となったモンスターモデル

フィリップ・シャトリエ

全仏の会場となる『スタッド・ローラン・ギャロス(Stade Roland Garros)』のセンターコートにつけられた愛称。1995年に増設され、それまでのセンターコート(現在の1番コート)に代わって、中心的舞台となる。「フィリップ・シャトリエ」の名は、1977年〜1991年に国際テニス連盟(ITF)の会長を務めたフィリップ・シャトリエ氏の名前をそのまま冠したもの。今ではもう一つのメインコート『スザンヌ・ランラン』があり、1920年代に大活躍し、初めて着用した活動的なウェアが、女子テニスに注目を集めて、その存在価値を世界にアピールした貢献者の名前

babolat

Text by 松尾高司(KAI project)

まつお・たかし◎1960年生まれ。『テニスジャーナル』で26年間、主にテニス道具の記事を担当。試打したラケット2000本以上、試し履きしたシューズ数百足。おそらく世界で唯一のテニス道具専門のライター&プランナー